
タイムラインに流れてくる人たちの不思議
最近、SNSを開くと不思議な光景によく出くわします。南国のプールサイドでパソコンを広げている人や、ホテルのラウンジで高級そうな時計をこれ見よがしに写している人たちです。彼らの多くは、スマホ一台で月収数百万円といった景気のいい言葉を並べて、その秘訣を教えると手招きしています。
なぜ彼らはそこまで必死に、見ず知らずの私に稼ぎ方を教えようとするのでしょうか。本当にそんなに儲かっているのなら、自分一人でひっそり稼いで、静かにハワイの海でも眺めていればいいはずです。わざわざ広告費を払ってまで、こちらを勧誘してくる姿には、どこか必死さが漂っているような気がしてなりません。
今回は、そんな情報商材を売っている人たちの懐事情について、一人の生活者として少し引いた視点から考えてみたいと思います。
世間が抱くイメージと実態のギャップ
一般的に、こうした人たちは、悪いことをして大金を稼いでいる、いわゆる「成金」というイメージを持たれがちです。あるいは、一部の若者が憧れるような、自由を謳歌するニューリッチという見方もあるかもしれません。確かに、彼らが公開している銀行口座の残高や、束になった一万円札を見れば、すごいなあと圧倒されてしまうのも無理はありません。
しかし、もう少し冷静に観察してみると、違和感がポロポロとこぼれ落ちてきます。例えば、彼らが投稿する写真はどれも似たり寄ったりです。同じような高級車の前でポーズを決め、同じようなブランド物のバッグを持っている。まるで、成功者という役を演じるための共通の小道具セットがあるかのようです。
もし、その贅沢な暮らしが自分のポケットマネーだけで維持されているなら、もっと人それぞれの個性が出てもいいはずです。それなのに、みんな同じようなテンプレートに沿った生活を見せている。ここに、彼らのビジネスの構造的な苦しさが隠れているような気がしてなりません。
本当にそんなに儲かっているの?
彼らの手元に残るお金は、本当に私たちが想像するほど多いのでしょうか。
見せかけの華やかさを維持するための経費が、稼ぎのほとんどを食いつぶしている構造が現実にあるのではないかと、私は推測しています。広告を出し続け、フォロワーを買い、贅沢なフリをするための衣装代を払う。そうなると、手元に残る利益は、案外普通の会社員と変わらないか、あるいはそれ以下ということも十分にあり得る話です。
「儲かっていない」と感じるいくつかの理由
彼らが実はそれほど潤っていないのではないかと考えられる理由は、いくつかあります。
まず一つ目は、集客コストの増大です。今の時代、誰もが似たような発信をしているため、目立つためには多額の広告費や、より過激な演出が必要になります。かつてはブログ一本で稼げたかもしれませんが、今は動画編集に凝ったり、SNSの運用を外注したりと、外注費だけでも相当な金額になっているはずです。
二つ目は、プラットフォームへの依存と手数料です。商材を販売するサイトや決済システムを利用すれば、当然ながら手数料が引かれます。さらに、最近では規約が厳しくなり、アカウントが凍結されるリスクも常に隣り合わせです。一度凍結されれば、その瞬間に収入がゼロになる。この不安定さは、精神的にもかなり過酷なはずです。
三つ目は、税金の問題です。見せ金として使っているお金にも、当然ながら税金がかかります。贅沢品を経費で落とそうとしても、税務署の目はそんなに甘くありません。表面的な売上高が大きくても、納税後の純利益を見れば、将来への貯金すらままならない状況にある人が少なくないのではないでしょうか。
演出という名のコストに縛られる人々
こうした状況を考えるヒントになったのが、モーガン・ハウセルさんのサイコロジー・オブ・マネーという本です。この本の中には、本当の富とは目に見えないものである、という趣旨の言葉が出てきます。
高級車を買って乗り回している人は、その車の価格分だけ資産を減らした人である。このシンプルな指摘は、情報商材の世界を見ると非常に鋭く刺さります。彼らは、信頼をお金で買うのではなく、見せかけの富で他人の欲望を刺激しようとします。しかし、その刺激を維持し続けるためには、さらに多くのお金を使い続けなければなりません。
それはまるで、止まれば倒れてしまう自転車操業のようです。稼いだお金を再投資して事業を大きくするのではなく、稼いだお金を自分を飾るための消耗品に消していく。そんな不毛なループの中にいるのだとしたら、彼らは成功者というよりも、むしろ見栄という名の重労働に追われる労働者と言えるかもしれません。
今のところ自分はこう考えている
もちろん、中には本当に賢く立ち回って、莫大な資産を築いている人もいるのでしょう。世の中のすべてが偽物だとは思いません。でも、私たちの目に触れる多くのキラキラした投稿は、おそらくその裏側に、見た目ほど優雅ではない現実を抱えているのではないかと感じています。
必死に自分を大きく見せようとする姿は、裏を返せば、等身大の自分では誰も振り向いてくれないという不安の表れなのかもしれません。そう考えると、少しだけ彼らに対して同情にも似た気持ちが湧いてきます。
結局のところ、本当に儲かっていて心に余裕がある人は、わざわざ他人のコンプレックスを刺激してまでお金を巻き上げようとはしない気がするのです。今の私は、そんな煌びやかな画面の向こう側の苦労に思いを馳せつつ、自分らしい等身大の暮らしを大切にするのが一番の正解なのかな、とぼんやり考えています。皆さんは、あのタイムラインの向こう側に、どんな景色が見えているでしょうか。



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