
画面の向こう側で起きていること
最近、スマートフォンの画面を眺めていると、なんだか少し怖くなることがあります。かつては友達の近況を知ったり、美味しそうなランチの写真を見たりする平和な場所だったはずのSNSが、いつの間にか、激しい言葉の応酬や、にわかには信じがたい陰謀論であふれかえっているように感じるからです。
なぜ、SNSという便利なはずの道具が、これほどまでに極端な意見を育て、人と人とを切り離してしまうのでしょうか。
よく言われるのは、エコーチェンバー現象という言葉です。自分の好きなものや興味のあることばかりが表示される仕組み(アルゴリズム)によって、自分と似た意見の人ばかりとつながり、まるで反響室にいるかのように自分の声が大きくなって聞こえる、という理屈です。
あるいは、情報の真偽を確かめる力が人々に足りないからだ、という個人のリテラシーの問題として片付けられることも多い気がします。
でも、本当にそれだけなのでしょうか。単に機能的な問題や個人の能力不足だけで、これほど多くの人が熱狂したり、対立したりするものだろうかと、ふと立ち止まって考えてしまいます。
まず一つ、私たちが無意識に求めているのは、物語なんじゃないかと思うのです。世の中はあまりに複雑で、予測不能なことばかりが起きます。
そんな中で、自分たちを苦しめる悪の組織がいるという話や、隠された真実があるという筋書きは、バラバラだった世界の断片を一気に繋ぎ合わせてくれる、強力な接着剤のような役割を果たしているのかもしれません。
次に考えられるのは、どこかに所属したいという切実な願いです。
今の社会は、かつての地域社会や家族のような強い結びつきが薄れています。そんな中で、自分たちだけが真実を知っているという連帯感は、孤独な現代人にとって、とても魅力的な避難所になり得るのではないでしょうか。
また、SNSの仕組みそのものが、私たちの感情をガソリンにして動いているという側面も無視できません。穏やかな議論よりも、怒りや驚きといった激しい感情を伴う投稿の方が、より遠くまで拡散され、より多くの注目を集めます。システムの設計思想そのものが、もしかしたら最初から、穏やかな対話よりも、刺激的な対立を好むようになっているのかもしれません。
さらには、正義感の問題もあります。相手を攻撃している人たちは、決して悪意だけで動いているわけではなく、むしろ自分こそが正しいことをしている、社会を良くしようとしているという強い使命感に突き動かされている場合がほとんどのように見えます。
この、善意が裏目に出てしまう構造こそが、一番根が深い問題ではないかと感じてしまいます。
今のところ、SNSで陰謀論や分断が加速するのは、システムが未熟だからでも、特定の誰かが悪いからでもなく、私たちの心の隙間と、テクノロジーの特性が、不幸な形で噛み合ってしまった結果なのではないかと自分は考えています。
正解は一つではないでしょうし、これからもこの状況は続いていくのかもしれません。
それでも、今見ている画面の向こう側にいるのも、自分と同じように悩み、誰かと繋がりたいと願っている人間なのだと、たまに深呼吸をして思い出すことから始めたいと思っています。


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