
街にあふれる不思議な呪文
時と場合をあまり問わず、あちこちから聞こえてくる言葉があります。かわいい、というあの響きです。 雑貨屋さんで並んでいる色とりどりの文房具に対しても、道端で見かけた少し太り気味の野良猫に対しても、あるいは流行りのスイーツを前にした時も、私たちは反射的にその言葉を口にしていますよね。
最近では、自分の親くらいの世代の男性が一生懸命に慣れないスマホを操作している姿を見て、かわいいと感じることもあるようです。 よくよく考えてみると、これほどまでに守備範囲の広い言葉も珍しいのではないでしょうか。 美しいとか、綺麗といった言葉にはどこか背筋が伸びるような緊張感がありますが、かわいいにはもっと、ふにゃっとした、心の鍵が外れるような、独特のゆるさがある気がします。 そもそも、私たちは一体、対象の何を見てその言葉を選んでいるのでしょうか。
「赤ちゃんぽい」だけじゃない理由
一般的に、かわいいの正体としてよく語られるのは、動物の赤ちゃんの姿です。 目が大きくて、顔が丸くて、手足が短くて、動きがどこかおぼつかない。 こうした特徴は、生物学的な視点で見ると、周りの大人に守ってほしいというサインなのだそうです。 確かに、生まれたばかりの仔犬や人間の赤ちゃんを見れば、理屈抜きで守ってあげたいという気持ちが湧いてきます。 でも、世の中にあるかわいいは、それだけでは説明しきれない気がするのです。 例えば、わざと少し崩したようなキャラクターや、ちょっと不気味なのにどこか愛嬌がある、いわゆるキモかわいいと言われるものたちはどうでしょうか。 整いすぎた美しさよりも、どこか欠けていたり、隙があったりするものにこそ、私たちは強く惹きつけられることがあります。 完璧ではないからこそ、安心感を抱くのかもしれません。
相手との距離を縮める魔法
この不思議な感覚について考えるとき、私はある研究結果を思い出します。 心理学者の入戸野宏さんが書かれた、かわいいの力という本があるのですが、そこでは興味深い視点が紹介されていました。 かわいいと感じる対象に対して、私たちは自然と近づきたい、もっと長く見ていたいという気持ちになるそうです。 つまり、かわいいとは単なる見た目の評価ではなく、自分とその対象との心理的な距離をぐっと縮めるための装置のようなものなのかもしれません。 何かに対してかわいいよねと言うとき、そこには相手を自分と同じ地平に引き寄せるような、親愛の情がこもっています。 上下関係や利害関係といった、大人社会のトゲトゲしたものを一時的に無効化してくれる、そんな潤滑油のような役割を、この言葉は担っているのではないでしょうか。 職場のおじさんがかわいいと言われる現象も、実はコミュニケーションを円滑にするための平和維持活動なのかもしれませんね。
集中力を高めてくれる意外な効果
また、先ほどの入戸野さんの研究では、かわいいものを見た後に作業をすると、集中力が高まるという実験結果も示されているようです。 これは、対象をケアしようとする細やかな注意力が、そのまま自分の作業にも転移するからだとか。 デスクの片隅にお気に入りのフィギュアを置いたり、スマホの待ち受けをペットの写真にしたりするのは、単なる癒やしだけでなく、実は仕事の効率を上げるための本能的な知恵だったのかもしれません。 これを知ってから、私は自分の怠慢を、かわいいものが足りないせいにすることに決めました。 もっと身の回りをかわいいもので満たせば、いつかものすごい集中力を発揮できる日が来るのではないかと、淡い期待を抱いています・・
個性が爆発する自分だけの物差し
一方で、かわいいという感覚はとても個人的なものでもあります。他人から見て理解不能なものであっても、自分にとってはこれ以上なく愛おしい。 そんな自分だけの物差しを持つことは、とても勇気がいるけれど、人生を豊かにしてくれる大切な要素な気がします。
流行っているからとか、みんなが言っているからではなく、自分の心の琴線に触れた瞬間に、かわいいと呟く。 そのとき、世界は少しだけ自分にとって優しい場所に変わるのではないでしょうか。
自分だけの物差しでいい
結局のところ、かわいいの正体が何なのか、明確な答えはまだ見つかりません。 それは生物学的な本能かもしれないし、社会を生き抜くための知恵かもしれないし、あるいは自分自身を肯定するための盾のようなものかもしれません。 ただ一つ言えるのは、私たちが何かをかわいいと感じるとき、そこには必ず、その対象を大切に思う優しい眼差しがあるということです。 何でもかんでも、かわいいで済ませてしまうのは語彙力が乏しいなんて批判されることもありますが、私はそれも悪くないと思っています。 複雑で難しい問題が山積みの世の中で、たった数文字の言葉で誰かと、あるいは何かと繋がれるのなら、それはとても素敵なことではないでしょうか。 今のところ、私は、かわいいとは心の防波堤を低くして、世界と仲直りするための合言葉のようなものだと考えています。



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