なぜ精神疾患は進化の過程で淘汰されなかったのか?

ずっと消えずに残ってきた心の苦しさの不思議

ふとした瞬間に、なぜ人間にはこんなに生きづらさがつきまとうのだろうと考えてしまうことがあります。現代社会ではメンタルヘルスという言葉を当たり前に耳にするようになりましたが、それと同時に、うつ病や不安障害といった精神疾患に悩む人の多さも浮き彫りになっています。ここで一つ、素朴な疑問が湧いてくるのです。

人間という生き物は、何百万年もの時間をかけて進化してきました。厳しい自然界を生き抜くために、有利な特徴は残り、不利な特徴は切り捨てられてきたはずです。いわゆる適者生存という仕組みですね。
もし精神疾患がただ単に生きる上でマイナスになるだけのものだとしたら、なぜ進化の長い過程で淘汰されずに、今も私たちのなかに残り続けているのでしょうか。

走るのが速いとか、病気に強いといった特徴が選ばれてきたように、心もまた、より強く、より安定した形へと進化してもおかしくなかったはずです。
それなのに、私たちの心は驚くほど脆く、時に自分自身を追い込んでしまうような仕組みを抱えています。これは進化の失敗なのでしょうか。それとも、何か別の理由があるのでしょうか。


一般的な「淘汰」のイメージ

私たちが義務教育などで教わる進化論のイメージは、とてもシンプルです。環境に適応した個体が生き残り、子孫を残す。逆に、生存に不利な性質を持つ個体は子孫を残せずに絶滅していく。
この論理でいくと、強い不安を感じて動けなくなったり、深い落ち込みで生存意欲を失ったりする性質は、野生の世界では真っ先に淘汰の対象になりそうです。

そのため、多くの人は精神疾患のことを、脳の配線ミスや、遺伝子のコピーエラー、あるいは現代社会のストレスによって引き起こされるバグのようなものだと捉えがちです。本来あるべき正常な状態から外れてしまった、予期せぬ故障であるという考え方ですね。

確かに、医学的な視点で見れば、神経伝達物質のバランスが崩れているといった説明は非常に説得力があります。現代の複雑すぎる人間関係や、絶え間なく流れてくる情報の波に私たちの脳が追いついていないという話も、実感としてよく分かります。
しかし、それだけでは説明がつかない気もするのです。もしそれが単なるミスなのだとしたら、あまりにも多くの人間が同じようなミスを抱えすぎているのではないか?という疑問が残ります。


そもそも”エラー”なのか

ここで少し視点を変えて、一歩引いて考えてみます。もし、私たちが病気や異常だと思っている反応のいくつかが、実は人類が生き延びるために必要だった機能の延長線上にあるとしたらどうでしょうか。

例えば、不安という感情について考えてみます。何も理由がないのに不安に襲われるのは苦しいものですが、かつて人類がサバンナで暮らしていた頃を想像してみると、不安を感じない個体は真っ先に猛獣の餌食になっていたはずです。
草むらがガサガサと揺れたとき、もしかしたらライオンかもしれないと過剰に反応して逃げ出す個体と、ただの風だろうと気にせず昼寝を続ける個体。どちらが生き残る確率は高いでしょうか。

もちろん、前者の慎重すぎる個体です。たとえ百回のうち九十九回が空振りの不安だったとしても、一回の本物から逃げ切ることができれば、その個体は生き延び、慎重さという性質を次世代に受け継ぐことができます。
このように考えると、現代の私たちが抱える過剰な不安は、かつては優秀な警報装置として機能していたものが、外敵のいない安全な部屋の中で空回りしている状態だと言えるのかもしれません。


現代という環境とのズレ

この、かつての生存戦略と現代の環境とのミスマッチという考え方は、とても興味深いものです。私たちは石器時代の身体と脳を持ったまま、超高速なデジタル社会を生きているようなものだという説があります。

うつ状態というものも、一つの適応戦略だったのではないかと推測する意見もあります。例えば、集団の中での争いに負けたときや、深刻な損失を被ったとき、エネルギーの消費を最小限に抑えて引きこもることで、さらなる攻撃を避け、体力の回復を待つという防衛本能です。冬眠に近いような、種の保存のためのシャットダウン機能という見方ですね。

また、ある種の精神的な特性が、集団全体としてはプラスに働いている可能性も考えられます。全員が楽観的でリスクを恐れない個体ばかりの集団よりも、一部に非常に慎重で危機に敏感な個体や、一つのことに過剰なまでに集中する個体が混ざっている集団の方が、予測不能な事態に対応しやすかったのかもしれません。
個体レベルで見れば生きづらさを抱えていたとしても、種全体という大きな枠組みで見れば、その多様性こそが全滅を防ぐセーフティネットになっていたという構造です。


「弱さ」と呼ばれるようになった生存戦略

もちろん、これらはあくまで可能性の話であり、今現在苦しんでいる人に対して、それは進化に必要なことなんだから我慢しろと言うつもりはもちろん毛頭ありません。病気による苦痛は現実のものであり、適切なサポートや治療が必要なのは言うまでもないことです。

ただ、精神疾患を単なる劣等なものや、排除されるべきバグとして見るのではなく、人類が長い年月をかけて獲得してきた複雑なシステムの副作用として捉え直してみることは、自分自身や他者への眼差しを少しだけ柔らかくしてくれる気がします。
私たちは決して壊れているわけではなく、あまりにも精巧で、あまりにも敏感な仕組みを、少し不適合な環境で使いこなそうと奮闘している最中なのかもしれません。

強さだけが進化の正解ではなく、弱さや過敏さもまた、私たちがここまで生き延びてくるために必要だったパズルのピースだったのではないか。そんな風に考えると、今の生きづらさに対する見え方が、ほんの少しだけ変わってくるような気がするのです。


自分なりの余白

アラームが故障して鳴り止まなくなってしまうのが精神疾患の辛いところですが、そのアラーム自体には本来、私たちを守ろうとする意図があったのだという考え方は、とても救いがあるように感じられました。

個体としての幸せと、遺伝子が生き残るための戦略は必ずしも一致しないという冷徹な事実もあります。私たちが苦しいのは、私たちが悪いのではなく、生命の仕組みそのものが抱える矛盾なのかもしれません。

結局のところ、自分たちの心の仕組みを、長い長い生命の歴史の一部として想像してみることが、正解のない時代を少しだけ穏やかに歩むための知恵になるのではないかと、今のところの自分は考えています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました