歯医者さんの待合室で自分の順番を待っているとき、奥の診察室から聞こえてくるあのキーンという高い音を聞くと、どうしても身構えてしまいますよね。
令和のこの時代、私たちはスマートフォンで世界中の人と顔を見ながら話し、人工知能が小説を書くような高度な文明の中に生きているはずです。
それなのに、自分の体の一部である歯を治そうとすると、いまだに工事現場のようなドリルでガリガリと削られる。このギャップに、ふと、なんだかすごく原始的なことをしているのではないかという疑問が湧いてくるのです。
もっとスマートで、痛くない、例えばレーザーを当てるだけで虫歯が消えてしまうとか、薬を塗るだけで溶けてなくなるとか、そんな魔法のような方法がもっと一般的になっていてもいいはずなのに、なぜ私たちは今日もあの震えるドリルを受け入れ続けているのでしょうか。
世間一般でよく言われるのは、やはり効率と確実性の問題です。
虫歯というのは細菌に侵された部分を取り除かなければならないのですが、歯の表面にあるエナメル質という組織は、実は体の中で最も硬いと言われています。
そんな硬いものを正確に、かつ短時間で削り取るには、ダイヤモンドの粒子がついたドリルを高速で回転させるのが一番手っ取り早いというわけです。
また、日本の健康保険制度という枠組みも大きな理由の一つとして語られます。多くの人が安価で均一な治療を受けられるようにするためには、どうしても普及している機材や手法が優先されます。
新しい技術が登場しても、それが保険の対象になり、全国どこの歯医者さんでも受けられるようになるには、膨大な時間と検証が必要になるという話はよく耳にします。
けれど、本当にそれだけの理由なのだろうかと一歩引いて考えてみたくなります。もし効率やお金の問題だけなら、自費診療であってもいいからもっと画期的な方法が普及して、ドリルが過去の遺物になっていてもおかしくありません。
でも実際には、どれだけお金を払う準備があっても、結局はドリルのお世話になることが多いのが現状です。ここには、単なる技術の進歩の遅れではない、もっと構造的な理由や、歯という組織特有の難しさが隠れているような気がしてなりません。
一つ考えてみたのは、歯の治療が外科手術に近いという点です。内科のように薬を飲んで治るのを待つのではなく、悪い部分を物理的に切り取る作業です。
しかも、口の中という非常に狭くて暗い場所で、常に唾液で濡れていて、さらにミリ単位の精度が求められるという過酷な環境での作業になります。
そんな場所で、確実に悪い部分だけを狙い撃ちし、その後の詰め物をしっかり密着させるための形を作るには、物理的に接触して削るという行為が、今のところ最も信頼性が高いのかもしれません。
目で見ている感覚と、手先に伝わる感触の両方を頼りにする職人技のような世界だからこそ、アナログな道具が生き残っているのではないでしょうか。
また、医療における安全性の考え方も影響しているかもしれません。
新しい技術、例えば強力なレーザーや薬剤は、確かに削る振動や音を消してくれるかもしれませんが、熱を持ちすぎて神経にダメージを与えたり、健康な部分まで溶かしすぎてしまったりするリスクを完全には拭いきれないのかもしれません。
その点、長い歴史の中で改良されてきたドリルは、どのようなトラブルが起きるか、どうすれば防げるかが完全に分かっています。新しいことへの挑戦よりも、今ある確実な安全を優先するという、医療の誠実さが逆に進化をゆっくりに見せているという側面もありそうです。
ここで考えるヒントになったのが、海老澤立さんの書かれた、歯医者の本音という本です。
この本の中では、日本の歯科医療が抱える構造的な悩みや、なぜ予防が大事なのかという話が現場の視点で語られています。
これを読んで感じたのは、私たち患者側が求めているのは痛みがないことですが、医療側が守ろうとしているのは、その後の何十年というスパンでの歯の寿命なのだということです。
削りすぎない、でも取り残さないという絶妙なバランスを保つために、今のところドリル以上の道具が見つかっていないという現実があるのかもしれません。
今のところ、私はこんな風に考えています。歯医者さんのドリルが原始的に見えるのは、それだけ私たちの歯が強固で、それを守るための戦いがシビアであることの証拠なのではないでしょうか。
文明が進んでも、私たちの体の物理的な硬さや複雑さは変わっていません。だからこそ、最新のデジタル技術と、昔ながらの物理的な手法が共存しているのが現在の歯科治療のリアルな姿なのかもしれません。
もちろん、これから先、本当に削らなくていい時代が来ることを願っています。でも、次にあのアナログな音を聞くときは、これは私の歯という頑丈なパーツを一生懸命メンテナンスしてくれている、信頼の音なんだなと、少しだけ見方を変えて受け入れてみようかなと思っています。まぁ怖いからしっかり歯磨きします。
皆さんは、あのキーンという音の正体について、どんな風に感じているでしょうか。


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