永遠にこげつかないフライパンは、なぜいつまでも夢のままなのか
キッチンで目玉焼きを焼こうとして、白身がフライパンの底にはりついてボロボロになってしまったとき、なんとも言えない切ない気持ちになりますよね。
昨日まではあんなにスルスルと滑っていたのに!ある日を境に急に心を閉ざしたかのようにくっつき始める。てか、フライパンの寿命っていつなのよ?
そんな経験、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
世の中には数え切れないほどのフライパンが溢れています。ホームセンターに行けば、1,980円の手頃なものから、1万円を超えるような高級なものまで並んでいます。
パッケージには、ダイヤモンドコーティングとか、マーブル加工、あるいは何万回の耐摩耗テストをクリアといった力強い言葉が躍っています。
これだけ科学技術が進歩して、人類が月に行ったりAIと会話したりできる時代なのに、なぜ私たちは一年や二年で使い捨てなければならないフライパンを買い続けているのでしょうか??
絶対にこげつかず、しかもその効果が一生続くような魔法の道具は、どうして発明されないのでしょうか。今日はそんな台所の小さな絶望と不思議について考えてみたいと思います。
よく言われる理由と、私たちの思い込み
一般的に、フライパンがすぐにダメになってしまう理由として語られるのは、使い方の問題だそうです。強火でガンガン熱してはいけないとか、金属のヘラで傷をつけてはいけないとか、調理が終わってすぐ冷水につけてはいけないといったルールです。これらを守らないから表面のコーティングが剥がれてしまうのだよ、というわけです。
確かにそれは正論です。でも、どれだけ丁寧に、まるで割れ物を扱うように大切に使っていても、やはり寿命はやってきますよね。
高価なフライパンを買えば一生モノになるのではないかと期待して奮発してみても、結局は数年でこげつきが始まってしまうでしょ。そうなると、私たちはこう考えがちです。
「結局、消耗品だから仕方がない…」
「もっと高い、まだ出会っていない最新のテクノロジーを駆使した製品なら解決してくれるはず」
そうやって新しいフライパンを求めてお店へ向かうわけですが、そもそも構造的に、こげつかないことと長持ちすることを両立させるのは、私たちが想像する以上に難しいことなのかもしれません。
本当に使い方の問題だけなのだろうか
ここで少し立ち止まって考えてみたいのは、こげつかない加工の代名詞であるテフロン、つまりフッ素樹脂という素材の持つ、ある種の矛盾についてです。
フッ素樹脂の最大の特徴は、他のどんな物質とも仲良くしようとしない性質にあるそうです。専門的な言葉を借りれば摩擦係数が極めて低いということになりますが、要するに、何に対してもくっつかないという頑固な性格を持っているわけです。
ところが、ここに一つ大きな問題が生じます。食材をくっつかせたくないからフライパンの表面にフッ素樹脂を塗るわけですが、フッ素樹脂自身がそもそも何ともくっつきたくない性格なので、フライパンの土台であるアルミニウムや鉄とも、実は仲良くしたくないのです。
ここに、こげつかないフライパンの宿命的な弱点があるような気がします。
構造的な理由を想像してみる
メーカーの方々は、この仲の悪い二つの素材をなんとか接着させるために、日々知恵を絞っているはずです。金属の表面をわざとザラザラにして物理的に引っかかるようにしたり、特殊な接着剤のような役割を持つ層を間に挟んだりしています。いわば、無理やり手を握らせているような状態です。
しかし、調理をすればフライパンは熱せられます。金属と樹脂では、熱を受けたときの膨張の仕方が違います。温まれば膨らみ、冷めれば縮む。
この繰り返しのストレスによって、無理やり握らされていた手が、少しずつ緩んでしまうのではないでしょうか。
目に見えるような大きな傷がつかなくても、目に見えないミクロのレベルで、コーティングが浮き上がったり、剥がれたりしていく。これはもう、素材の性質上、避けられない運命のようなものだと言えるかもしれません。
食材を滑らせるための最高の性能が、皮肉にも自分自身をフライパンに留めておく力を弱めている。そんな構造的なジレンマが、あのボロボロの目玉焼きの背景にあるのだとしたら、少しだけフライパンに対して同情的な気持ちになれるような気がしますね。
私たちの選択と道具との付き合い方
私たちは便利さを求めて、この繊細な道具を選んできました。油をひかなくても卵が焼ける、後片付けが楽になる。その恩恵は計り知れません。
しかし、その利便性は、永遠に続く魔法ではなく、少しずつ削り取られていく期間限定のサービスのようなものだと捉え直すと、見え方が変わってきます。
一方で、世の中には鉄のフライパンのように、使い込むほどに油が馴染んでこげつかなくなる道具も存在します。こちらは手入れが大変ですが、適切に扱えば文字通り一生モノになります。
結局のところ、こげつかないフライパンができないのではなく、私たちは、手軽さと引き換えに、定期的な交換というコストを支払うという選択を無意識に続けているのかもしれません。
もし、いつか本当に剥がれないコーティングが発明されたとしたら、それはフッ素樹脂の性質を根底から覆すような、新しい物質の誕生を意味するのでしょう。それまでは、今ある道具の繊細な個性を理解して、無理をさせずに付き合っていくのが、今のところの自分なりの正解なのかなと思っています。というわけで自分は1,980円のフライパンを使い倒しまくる方針で行こうと思います。
材料科学という視点から日常を眺めてみると、なぜフライパンが剥がれるのか、なぜガラスは割れるのかといった疑問が、単なる故障や不便さではなく、物質の生き様のように見えてくるから不思議です。
もしあなたが、次にフライパンを買い換える場面に出会ったら、パッケージの派手な宣伝文句の裏側にある、素材たちの健気な努力を想像してみてください。そうすれば、少しだけ穏やかな気持ちで、新しい相棒を選べるようになるかもしれません。
今回のお話は、あくまで一つの考え方にすぎません。でも、当たり前だと思っていた不便さの理由を少し掘り下げてみることで、毎日の家事がほんの少しだけ面白くなるきっかけになれば嬉しいです。
あなたは、この終わりのないフライパン選びのループについて、どう考えていますか。手入れをすることで育っていく道具にも興味があるでしょうか。もしよろしければ、一生モノと言われる鉄のフライパンを上手に使いこなすためのコツや、その魅力について、一緒に考えてみませんか。


コメント