「フェイクの愚痴エピソードで釣って悪質なアフィリエイト先に誘導するアカウント」が急増中、夫婦の愚痴や男女論・質問箱系のアカウントに注意

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最近SNSで見かける、やたらとリアルな「他人の家庭のドロドロ話」の違和感

スマホを片手にベッドでごろごろしながらSNSのタイムラインを眺めているとき、ふと目に留まる投稿があります。それは、旦那の信じられないような一言への愚痴だったり、男女の恋愛観をめぐる激しい議論だったり、あるいは匿名の質問箱に寄せられた生々しいお悩み相談だったりします。ついつい「えっ、そんなことある?」と思って画面をタップし、続きを読んでしまう。そんな経験、きっと私だけではないはずです。

こうした投稿には、信じられないほどたくさんのコメントや「いいね」が集まっていて、タイムラインがその話題一色になることも珍しくありません。最初は「世の中、色んな人がいるもんだなぁ」と他人事のように眺めているのですが、最近どうも、ある種の奇妙な違和感を覚えることが増えてきました。

というのも、別々の人が発信しているはずの「修羅場エピソード」なのに、なぜか文章のノリがそっくりだったり、登場人物のセリフが妙にドラマ仕立てだったり、リプライ欄に同じ広告が掲載されていたりするのです。そして話の最後や、コメント欄のいちばん目立つところに、決まって「私が使って人生変わった美容液はこれ」とか「今回の件で使った法律相談サービスはこちら」といった、広告のリンクが貼られていることに気づきます。もしかしてこれ、誰かが作ったお話に私たちは乗せられているだけなのではないか、そんな疑問が頭をよぎるようになりました。


「ネットのデマ」という片付け方

こうした現象について周りの友人に話してみると、大抵は「ネットの嘘松(嘘の投稿のこと)なんて昔からあるよ」とか「単なるインプレッション稼ぎのゾンビみたいなものでしょ」と一蹴されます。確かに、インターネットの世界には昔から注目を集めるための創作話が溢れていました。

一般的には、こうしたアカウントは「目立ちたいだけの個人」がやっているか、あるいは「アクセス数を増やしてお小遣いを稼ぎたい人が適当にコピペしている」と考えられがちです。だからこそ、騙される方が悪いスルーするのが大人のマナー、という空気感がこれまでは主流だったように思います。

しかし、最近のこの手の動きを見ていると、どうも昔ながらの「ちょっと盛った武勇伝」や「お騒がせなデマ」とは、あきらかに毛色が違ってきているように感じられてならないのです。もっと組織的というか、人間の心理を巧みに突いたシステム、社会を取り巻くうねりに苦しむ人々を利用している力のようなものが、画面の向こう側で動いているような、そんな不気味さを感じてしまいます。


私たちの怒りの感情が「お金」に換わる仕組み

少し気になって調べてみると、こうしたSNS上の動きと、そこから誘導されるアフィリエイト(成果報酬型広告)の市場には、想像以上に巨大な背景があることが分かってきました。

例えば、日本のインターネット広告費は年々右肩上がりで成長を続けており、今やテレビの広告費を大きく上回っています。その中でも、個人のブログやSNSを通じて商品を買ってもらうアフィリエイト広告の市場規模は、年間で数千億円規模に達しているという推計もあります。これだけの大きなお金が動く場所であれば、そこへ人を呼び込もうとする競争が激化するのも、ある意味では当然の流れなのかもしれません。

さらに、ある海外の研究チームがSNS上での情報の広がり方を分析したデータによると、偽のニュースや感情を大きく揺さぶるエピソードは、正しい事実に基づいたニュースに比べて、およそ6倍の速さで拡散するという傾向がみられたそうです。特に、恐怖や怒り、他者への嫌悪感といったネガティブな感情を刺激する言葉は、驚くほど強い拡散力を持つことが統計的にも証明されています。

つまり、私たちが「なんて酷い旦那なんだ」と怒ったり、「この意見は間違っている」と反論したくなったりする瞬間こそが、システム側にとっては最も効率よくアクセス数を稼げるボーナスタイムになっているという現実があるようです。私たちが日常の愚痴や男女論に反応するたびに、画面の向こうの誰かのポケットにチャリンとお金が落ちる仕組みが、かなり精巧に作られていることが伺えます。


なぜ私たちは「分かっていても」釣られてしまうのか

では、なぜこれほどまでに、旦那の愚痴や男女論、質問箱といったジャンルが狙われるのでしょうか。その理由について考えてみると、いくつかの構造的な背景が浮かんできます。

まず挙げられるのは、これらのテーマが「正解は無いにしろ、誰もが当事者になれる話題」だからという点です。最先端の科学技術や難しい政治の議論には参加しづらくても、夫婦の関係や男女のすれ違い、個人的なお悩みであれば、誰もが自分の経験を基にして「私はこう思う」「それはおかしい」と口を開くことができます。発信者側からすれば、これほど簡単に議論を炎上させ、コメント欄を賑わせられるテーマは他にありません。

次に、スマートフォンの画面という非常に狭い視野の中で文章を読むという、私たちの読書スタイルの変化もあります。タイムラインをスクロールする一瞬の間に、パッと目を引く強烈な一言(例えば、浮気の証拠を見つけた、といった一文)が飛び込んでくると、脳は論理的な思考をする前に、感情的な反応を返してしまいます。

さらに、最近の人工知能の進化も関係しているかもしれません。今や、それっぽい「リアルな愚痴」や「切実なお悩み相談」の文章は、パソコンに向かっていくつかの指示を出すだけで、一瞬にして大量に自動生成できるようになっています。一人の人間が必死に嘘を考えているのではなく、機械が人間の怒りやすいポイントを学習して、大量のフェイクエピソードを自動でばらまいているのだとしたら、私たちがそれを見抜くのは至難の業です。

私たちは自分の意志でタイムラインを選び、自分の感情で怒っているつもりになっていますが、実は用意された精巧なトラップの上で、きれいに踊らされているだけなのかもしれません。


考えるヒントをくれた、あるドキュメンタリーと本

この、現代のインターネットが持つ「感情の搾取」という仕組みについて考える上で、とても大きなヒントをくれた作品があります。

サスペンスの古典として知られる『羅生門』です。一つの事件に対して、関わった人たちがそれぞれ自分に都合の良い、全く異なる「真実」を持っている物語なのですが、これを通底する人間の割り切れなさや、見たいものだけを見る性質は、現代のSNSの質問箱や愚痴アカウントに通じるものがあると感じます。描写されている風景は誰かの真実なのか、それとも私たちが「見たがっているドロドロした現実」を誰かが演出して見せてくれているだけなのか。そんな斜めからの視点を持つきっかけをくれました。


タイムラインの歩き方

こうして色々と考えてみましたが、だからといって「SNSの愚痴アカウントはすべて悪だから一切見るな」とか「アフィリエイトはすべて詐欺だ」と断定したいわけではありません。

日常のちょっとした愚痴をネットに吐き出すことで救われている本物の人もたくさんいるでしょうし、本当に良い商品を紹介して報酬を得ている健全なアフィリエイトだってたくさんあります。何が本物で、何がフェイクで釣るための仕掛けなのかを、一般の生活者である私たちが完璧に見分けることは、おそらく不可能です。

ただ、スマホを見ていて急に胸がざわついたり、誰かに猛烈に反論したくなったりした瞬間に、「待てよ、これは私をあのリンクへ連れていくための、よく出来たお芝居かもしれないな」と、一歩引いてみるのはいかがでしょうか。大雑把で少しだけ冷めた視点を持っておくくらいが、今のインターネットを疲れることなく泳いでいくためには、ちょうどいい塩梅であると感じます。

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