キツすぎる!脇腹が痛い!血の味がする!拷問のように感じる有酸素運動を少しでも楽にする方法を調べた話

ハアハアいう自分の情けなさと向き合う時間

健康診断の結果が手元に届いたときや、お気に入りのズボンのウエストが少しきつくなったと感じたとき、私たちは決まって同じ決心をします。明日から走ろう、あるいはジムに行こうという、あの清々しくも呪わしい決意です。

いざウェアに着替えて外に飛び出し、走り始めた数分後、あんなに固かったはずの決意は、喉の奥から上がってくる血の味と、脇腹を鋭い針で刺されたような激痛によって、いとも簡単に打ち砕かれます。

有酸素運動…。それは健康という名の聖域に辿り着くための、あまりにも過酷な修行です。

なぜこれほどまでに苦しいのでしょうか。走るたびに肺が燃えるような感覚になり、足は鉛のように重く、心拍数は太鼓の乱れ打ちのように激しくなる。
スポーツ番組で爽やかに走る市民ランナーの姿を見て、自分もあんなふうになれるはずだと信じた過去の自分を、全力で問い詰めたい気分になります。

そもそも、体を動かすことが体に良いはずなのに、そのプロセスが拷問のように感じられるのは、どこか設計ミスではないかと思ってしまうのです。
この圧倒的な苦痛を前にして、私は一度立ち止まって考えてみることにしました。どうすればこの地獄のような時間を、せめて少しだけマシなものに変えられるのかと。


世の中で言われている魔法のコツたち

インターネットや雑誌を覗けば、有酸素運動を楽にするためのアドバイスは溢れかえっています。呼吸法を意識しましょうとか、背筋を伸ばして正しいフォームを保ちましょうとか、あるいは自分に合った高機能なシューズを選びましょうといった具合です。もう聞き飽きたわい…

確かに、それらはとても大切なことに思えます。鼻から吸って口から吐くリズムを一定にするだけで、肺の負担が軽くなるという話はよく聞きます。また、足首や膝への衝撃を吸収してくれる最新の靴を履けば、物理的な痛みは軽減されるのかもしれません。

しかし、実際に苦しみの渦中にいる人間からすれば、そうした正論はどこか遠い国の出来事のように聞こえてしまいます。正しいフォームを維持しようにも、そもそも脇腹が痛くて真っ直ぐ立てないのです。呼吸を整えようとしても、酸素を求めて喘ぐ肺が勝手にリズムを壊してしまいます。

多くのハウツー本は、ある程度の基礎体力があることを前提に書かれているような気がしてなりません。運動不足の極致にいる人間が、いきなりそれらを実践するのは、まるで補助輪なしでいきなりサーカスに出ろと言われているような、そんな無理難題に近い感覚があるのです。


そもそもなぜあんなに体が拒絶反応を示すのか

そこで私は、そもそもなぜ脇腹が痛くなったり血の味がしたりするのか、その構造について素人なりに調べてみました。

脇腹の痛みについては、医学的にもいくつかの説があるようです。走ることで揺れる内臓が横隔膜を引っ張ってしまうという説や、消化器系に血液が足りなくなって悲鳴を上げているという説など、どれもなるほどと思わされます。つまり、私の意思とは無関係に、体の内側でちょっとしたパニックが起きているということなのでしょう。

そしてあの独特の血の味。これは激しい運動によって肺の毛細血管からごく微量の赤血球が漏れ出し、その成分である鉄分の匂いを鼻や喉が感じ取っているからだという話を読みました。まるで自分の体が内側から壊れていくような感覚は、あながち気のせいではなかったわけです。

こうして理由を並べてみると、あの苦しさは体が発している緊急アラートなのだと理解できます。これ以上無理をさせないでくれという、肉体からの切実な訴えです。そう考えると、拷問のように感じるのは、ある意味で生命維持装置が正しく作動している証拠なのかもしれません。

とはいえ、そのアラートを真に受けて毎回すぐに止まってしまっては、いつまで経ってもウエストのボタンは締まりません。体のアラートを完全に無視するのではなく、かといって言いなりにもならない、ちょうどいい妥協点を探る必要があるようです。


苦しさを和らげるための私なりの妥協点

そこで私は、運動を楽にするためのアプローチを、身体的なものから精神的なものへと少しシフトしてみることにしました。

まず、目標設定の解像度を極端に下げることにしました。30分走るという目標が重すぎるなら、まずは外に出て10分だけ早歩きをすれば合格とする。血の味がしそうになったら、迷わず歩く。脇腹が痛くなったら、そこでその日の運動は終了してもいい。そんなふうに、自分へのハードルを地面に埋まるくらい低く設定してみました。

また、運動を娯楽に寄せてしまうのも手です。好きな音楽を聴く、お気に入りのポッドキャストを聴くといったことは誰もがやっていますが、私はさらに、運動した後に食べるものをあらかじめ決めておくという、少し食い意地の張った方法を取り入れています。あの店の美味しいパンを食べたいから、そこまで歩いて行こう、といった具合です。


走り終わった後の自分を少しだけ褒めるために

有酸素運動の辛さをゼロにすることは、おそらく不可能です。私たちの体は動くようにできてはいても、急激な変化や負荷を嫌うようにできているからです。

結局のところ、有酸素運動を楽にするための最大の秘策は、楽をしようとすることを自分に許すことではないでしょうか。速く走らなくてもいいし、長く続けられなくてもいい。今日は靴を履いて玄関を出ただけで偉い。そんなふうに自分を甘やかしながら、騙し騙し続けていくのが、一般人にとっての正解に近い気がしています。

最近の研究では、短時間の強度の高い運動と休憩を繰り返す方法や、週に数回の軽い運動だけでも十分に健康効果があるという見解も増えているようです。根性論で自分を追い込む時代は、もう終わったのかもしれません。

今のところ、私はこう考えています。有酸素運動は、体を鍛えるための手段であると同時に、自分の体の声を聞くための対話の時間なのだと。脇腹が痛むのも、血の味がするのも、それは私の体が一生懸命に環境に適応しようと奮闘しているサインです。そう思うと、あんなに嫌だったあの感覚も、少しだけ愛おしく……というのは言い過ぎですが、まあ、明日も気が向いたら歩いてみようかな、くらいの気持ちにはなれるのです。

大切なのは、劇的な変化を求めすぎず、日常の中に苦痛を薄めて溶け込ませていくことですよね。ゆるやかな姿勢で、私は明日も少しだけランニング…もとい、早歩きをしてみようと思います。

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