
買い物カゴを持つ手が止まる午後
近所のスーパーで買い物を済ませ、レシートを眺めては首を傾げる日が増えました。ほんの数年前なら、千円札一枚あればそれなりの食材がカゴに収まっていたはずなのに、最近では野菜を二、三種類と鶏肉、それに卵を足しただけで、あっという間に紙幣が何枚が財布から旅立ってしまいます。
一方で、帰り道に見かける牛丼チェーンやファミレスの看板には、今でもワンコインに近い価格や、千円以下で満足できそうなセットメニューが並んでいます。自分で材料を揃えて、手間暇かけて作って、後片付けまで自分でする。その一連の苦労を考えると、あれ、もしかしてこれなら外で食べた方が安上がりなんじゃない?…そんな、かつての節約の常識を揺るがすような疑問が、ふと頭をよぎるのです。
もちろん、自炊は安くて健康的という教えは、私たちの生活に深く根付いています。お惣菜を買うのは贅沢だとか、外食ばかりだとお金が貯まらないといった言葉を、親や年配の方から耳にタコができるほど聞かされて育った世代も多いでしょう。しかし、今のこの物価高の中で、その教えがそのまま通用するのかどうなのか。今日はそんな素朴な違和感について、少し真面目に考えてみたいと思います。
刷り込まれてきた自炊最強説
そもそも、なぜ私たちは自炊の方が安いと信じて疑わないのでしょうか。その背景には、人件費やサービス料という概念があります。お店で食事をすれば、当然ながら調理する人の給料やお店の家賃、光熱費、さらには利益が価格に乗せられます。自分で作れば自分の労働力はタダなのだから、その分だけ安くなるのは自明の理、という理屈です。
また、まとめ買いという魔法の言葉も自炊派の強い味方でした。大きなキャベツを一玉買い、それを3日間かけて使い回すといった具合です。鶏胸肉を大量に買って小分けにして冷凍するとかとか。そうやって、一個あたりの単価を下げる工夫こそが、家庭を守る知恵だとされてきました。
実際、昭和や平成の初期までは、このモデルが完璧に機能していたように思います。スーパーの食材は今よりずっと安く、一方で外食は特別なイベントという位置付けが強かった時代です。しかし、令和の今、私たちの目の前にある景色は、どうもそれとは少し違ってきているような気がしてならないのです。
電卓を叩いて気付く違和感の正体
ここで一度、今の食材の価格を思い出してみます。例えば、お洒落なカフェで出てくるようなサラダを自宅で再現しようとするとどうなるでしょうか。レタスにトマト、アボカドにナッツ、ドレッシングに使うオイルやビネガー。これらを一通り揃えるだけで、千円は軽く突破してしまいます。
もちろん、それらは一度で使い切るわけではありません。しかし、一人暮らしや二人暮らしの世帯にとって、使い切るというハードルは意外と高いものです。冷蔵庫の奥でしなびていく小松菜や、賞味期限を切らしてしまったドレッシングのボトル。これらを廃棄するコスト、いわゆるフードロスまで計算に入れると、一食あたりの単価は跳ね上がります。
それに対して、大手の外食チェーンはどうでしょうか。彼らは驚くほどの規模で食材を一括仕入れし、物流を効率化しています。私たちがスーパーで一個百円の玉ねぎを買う横で、彼らはトン単位の契約で仕入れているはずです。この仕入れ力の差が、個人の努力による節約を軽々と追い越してしまっているのではないか。そんな構造的な変化を感じざるを得ません。
規模の経済と見えないコストの積み重ね
外食チェーンの安さは、徹底した標準化と効率化の賜物です。一方で、私たちがスーパーで買う生鮮食品は、天候や輸送コストの影響をダイレクトに受けます。つまり、産業化された食事と、生の状態に近い食材との間で、価格の逆転現象が起きやすくなっているのかもしれません。
また、光熱費の高騰も見逃せません。煮込み料理を一つ作るにしても、ガス代や電気代をシビアに計算すれば、コンビニのレンジで温めるだけのお弁当や、専門店のプロが大きな鍋で一気に作る料理の方が、エネルギー効率という点でも優れている可能性があります。さらに、自分の時給を考えてみると、どうでしょうか。調理と片付けに一時間を費やすなら、その時間を別のことに充てたり、単に休養に充てたりすることの価値は、案外馬鹿にできないものです。
台所に立つという行為の新しい意味
こうして考えてくると、経済合理性だけを追求するなら、外食や中食を賢く利用する方が合理的であるという場面は、確かに増えているように思います。かつての、自炊をしなければ生活が破綻するという強迫観念のようなものは、少しずつ薄れてきているのかもしれません。
とはいえ、だからといって自炊に価値がないと決めつけるのも、少し寂しい気がします。自分で味付けを調整できる安心感や、料理を作る過程そのものがリフレッシュになるという側面もあるからです。安いから作るという受動的な理由から、自分らしくあるために作るという能動的な理由へ、自炊の意味がシフトしている時期なのかもしれません。
忙しい時や疲れている時に外食を選ぶ自分を、節約が下手だと責める必要はない向きが強まっているように感じます。家計簿の数字だけでは測れない、時間や心の余裕も含めたトータルでのコストパフォーマンスを、自分なりに見極めていくことが、これからの時代の暮らし方なのかもしれません。
ですが、来月にはまたスーパーの食品価格がやや落ち着いているかもしれません。今のこのちょっとした違和感を大切にしながら、明日のご飯をどうするか、もう少し柔軟に考えてみようと思います。


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