

食卓で感じた生き物の不思議
先日、夕飯どきのことです。そばの上に乗せた小エビのかき揚げを眺めていて、ふと妙な感覚に襲われました。
長いひげ、節の多い体、そしてお腹側にたくさん並んだ細い脚。これをじっと見つめていると、どうしても頭の片隅に、夏の夜に網戸にくっついている昆虫や、庭の植木鉢をひっくり返した時にカサカサと逃げていくあのシルエット、もしくは公衆トイレでよく見るアイツが重なってしまうのです。
【左下】トノサマバッタ 【右下】オオカマキリ
並べて見てみても、虫そっくりです。
もしも部屋の壁に、エビと全く同じ形をした体長十センチメートルの生き物が張り付いていたら、私は間違いなく新聞紙を丸めて叩き潰しに行くでしょう。それなのに、お皿の上のエビに対しては、多くの人が美味しそうだと目を輝かせ、殻を剥いて口に運んでいます。
この差はいったいどこから生まれるのでしょうか。見た目の特徴としては、虫とかなり共通点が多いはずなのに、なぜ私たちはエビをこれほどまでに受け入れ、むしろご馳走として愛しているのか。そんな素朴な疑問が頭を離れなくなりました。
陸と海の境界線というマジックは
世間一般でよく言われるのは、住んでいる場所の違いという説です。エビは海や川という、私たちの日常空間とは切り離された世界にいます。一方で、いわゆる虫たちは私たちの家の中や、すぐ近くの草むらに生息しています。
この、生活圏が被っていないという安心感が、気持ち悪さを和らげる大きな要因だという見方です。水の中にいるから綺麗に見える、というイメージのバイアスもあるかもしれません。
また、食文化としての歴史の長さもよく挙げられます。日本では昔からエビやカニを貴重なタンパク源として食べてきました。幼い頃から食卓に並び、親が美味しそうに食べている姿を見て育つため、脳がこれは安全な食べ物だと学習しているという、環境的な慣れの側面も強そうです。
しかし、本当にそれだけで、あのトゲトゲしたフォルムへの恐怖心が完全に消え去るものなのでしょうか。
生物学の教科書を開いてみる
もう少し客観的な事実を調べてみると、そもそもエビと虫が似ていると感じる感覚自体は、科学的にも極めて正しいことが分かります。どちらも節足動物という大きなグループに属しており、体が硬い外骨格で覆われ、足に節があるという構造的な特徴は完全に一致しています。
生物の進化の歴史を辿ると、彼らは大昔に共通の祖先から枝分かれした、いわば遠い親戚のような関係です。そのため、見た目が似ているのは偶然ではなく、構造上の必然なのです。
ここで、人間が生き物に対して抱く嫌悪感に関する心理学や人類学の研究に目を向けると、興味深い事実が見えてきます。人間は、予測不能な動きをするものや、自分たちの健康を脅かす可能性のあるものに対して、本能的に拒絶反応を示す傾向があります。
陸上の虫は、突然飛び跳ねたり、病原菌を媒介したりするリスクが身近にあります。これに対して、生きたまま脱走した場合などを除き、水中にいるエビが突然リビングを飛び回ることはありません。つまり、見た目の類似性よりも、その生き物が自分に害を及ぼす可能性の認知度が、脳の拒絶ボタンを押すかどうかに深く関わっているようなのです。
視覚のフィルターと、美味という記憶
この謎を深く掘り下げていくと、いくつかの構造的な理由が浮かんできます。
まず一つ目は、色と調理による変化です。多くの虫が黒や茶色、あるいは保護色としての緑色をしているのに対し、エビは生きている時は透明感のある灰色や茶色ですが、熱を通すと鮮やかな赤やピンクに変化します。
赤という色は、人間の視覚にとって熟した果実などを連想させ、食欲をそそる色とされています。もしもエビが火を通しても真っ黒なままで、カサカサした質感のままであったなら、私たちの評価は違っていたかもしれません。
二つ目は、動きのイメージの固定化です。私たちはエビが生きている姿を、ほとんど水槽の中やテレビの映像でしか見ません。そこでの動きは、ふわふわと水中を泳ぐ優雅なものであったり、ピチピチと跳ねる新鮮さの象徴であったりします。
一方で、陸上の虫たちの、あの予測のつかないカサカサとした素早い歩行は、人間の防衛本能を刺激します。エビのフォルムがどれほど虫に似ていても、あの嫌な動きの記憶と結びつかないため、脳の警戒警報が鳴りにくいのではないでしょうか。水の中ではある程度は動作が緩慢になりますからね。
三つ目は、純粋な味覚の勝利です。エビの身には、旨味成分であるアミノ酸が豊富に含まれています。一度食べて美味しいと強烈に認識したものは、視覚的なハードルを容易に飛び越えてしまいます。高級感という社会的なイメージも、私たちの認知をマイルドに歪めている可能性があります。
考えるヒントをくれた一冊
このような見た目と感情のギャップについて考える時、私は養老孟司さんの、唯脳論という書籍の視点に深く影響を受けました。
この本の中では、人間の意識や都市化が進むことで、自然界の生々しいものや、自分のコントロールの利かないものを排除しようとする脳の働きについて触れられています。
私たちは、きれいに洗浄され、お皿に盛り付けられたエビを、自然の生々しい生き物としてではなく、システム化された「商品」として消費しています。つまり、エビを食べる時、脳はあのフォルムを「虫」というカテゴリーから意図的に切り離し、別の安全な棚に格納しているのかもしれません。
境界線はどこ
結局のところ、エビを虫っぽく感じながらも美味しく食べられるのは、人間の脳が持つ極めて柔軟で、都合の良い認知の仕組みのおかげなのかもしれません。住む世界が違うから、動かないから、美味しいから。様々な理由が重なり合って、あのトゲトゲした外見は、グロテスクなものではなく、魅力的な造形へと脳内で翻訳されています。
もし明日、新種の陸上エビが発見され、それが森の中をカサカサと這い回っていたら、私たちはそれを高級食材として迎えるのか、それとも新しい害虫として駆除しようとするのか。人間の好き嫌いの境界線は、私たちが思っているよりもずっと曖昧で、環境や文脈によって簡単に揺らいでしまうものなのかもしれません。




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