

電車のなかのルール
毎日の通勤や通学、あるいはちょっとしたお出かけのときに利用する電車。揺れる車内で本を読んだり、スマートフォンの画面を眺めたりしているとき、ふと周囲の音が耳に入ってくることがありますよね。
隣に座った二人組が、昨日のテレビ番組の話や週末の予定について楽しそうに盛り上がっている。声の大きさもそれなりで、賑やかなおしゃべりが車内に響いている。そんなとき、私たちは特に不快に思うこともなく、よくある日常の景色として自然に受け入れていることが多いのではないでしょうか。
ところが、そのすぐ近くで、誰かのスマートフォンのバイブレーションが短く鳴り響く。その人が慌てて電話に出て、「もしもし、今電車の中なんだけどね…」と話し始めた途端、車内の空気が一瞬で引き締まるような、あの妙な気まずさを感じたことはないでしょうか。話し手の声は、先ほどの二人組のおしゃべりよりもずっと小さく、ひそひそ声に近いかもしれません。それなのに、どうして私たちは、電車内での通話に対してだけ、なんだかイラッとしたり、マナー違反だという強い視線を向けてしまったりするのでしょうか。
二人で対面して話すのは大目に見られるのに、機械を通して一人の声だけが聞こえてくるのは許せない。この一見すると少し理不尽にも思える不思議な境界線は、一体どこから生まれてくるのでしょうか。今回は、そんな乗り物の中のちいさな謎について、のんびりと考えてみたいと思います。
マナーだから?何のために?
この問題について、世間一般の鉄道会社のポスターやアナウンスでは「車内での通話は周りのお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください…」という風に非常にシンプルに説明されています。携帯電話の電波が心臓のペースメーカーに影響を与えるかもしれないという理由や、単純に声がうるさいからという理由が、マナーという言葉の引き出しに綺麗に片付けられがちです。
確かに、「ルールとして決まっているから守る」というのは、大勢の人間が同じ空間を共有するための生活の知恵としてとても大切です。皆が自分勝手に大声で電話を始めれば、車内がカオスになってしまうのは目に見えています。
しかし、ルールだからダメという説明だけで片付けるには、やっぱりおしゃべりは良くて通話はダメという矛盾の答えにはなっていません。声の大きさの総量だけで言えば、居酒屋帰りのグループの会話のほうが圧倒的にうるさいことだってあるわけです。それでも私たちが、ひそひそ声の電話にばかり神経を尖らせてしまうのは、単にマナーが悪いからという精神論だけでは説明がつかない、人間の脳や心の面白いバグが関係しているようなのです。
脳のバッテリーが勝手にすり減る仕組み
ここで、人間が他人の声を聞くときの仕組みや、コミュニケーションに関するいくつかの具体的な実験や研究のデータに目を向けてみると、私たちが電話の声にイライラしてしまうのも無理はないと思えるような、興味深い事実が見えてきます。
ある心理学的な実験によると、人間は、二人の人間が交互に話している会話を聞いているときよりも、一人の人間の声だけしか聞こえない、いわゆる片側の会話を聞いているときのほうが、圧倒的に注意力を奪われやすく、脳がストレスを感じやすいというデータがあるそうです。
私たちの脳は、耳から入ってきた中途半端な情報に対して、無意識のうちに、相手は何を話しているんだろう、次にどんな言葉が返ってくるんだろうと、欠けているパズルのピースを必死に埋めようとする性質を持っています。二人のおしゃべりであれば、文脈がすべて聞こえるので脳はそのまま聞き流すことができますが、電話のひそひそ声だと、隠された半分の会話を脳が勝手に想像して補おうとするため、余計なエネルギーを消費してしまい、結果として疲労感やイライラに繋がってしまうのだそうです。
また、別の調査では、人間は予測できない音に対して強く反応するというデータもあります。すぐ横にいる二人の会話はある程度のリズムや展開が予測できますが、電話の会話は、沈黙があったかと思えば突然話し始めたり、相槌だけで終わったりと、展開がまったく予測できません。このように、私たちの脳は、片側だけの予測不能な音声に対して、警戒アラームを鳴らすような構造になっているらしいのです。
こうして色々な要因を並べて眺めてみると、電車内での通話がなぜ嫌がられるのかという謎は、誰かが意地悪で決めた意地悪なルールというわけではなく、人間の脳の燃費の都合や、空間を共有するときの防衛本能が、最新のテクノロジーと衝突してできた、とても人間らしいバグの結果なのかもしれないという気がしてきます。




コメント