どうして「頭のいい爬虫類」は登場しなかったのか:トカゲたちの頭脳

コラム

トカゲたちの頭脳

幼い頃に恐竜の図鑑を夢中で眺めたり、映画館で巨大なトカゲのような生き物が暴れ回るパニック映画を観てハラハラしたりした経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。画面の中で、鋭い牙を持つ肉食恐竜が、人間の仕掛けた罠をあらかじめ見抜いていたかのように回り込んだり、ドアノブを器用に回して部屋に侵入してきたりするシーンを観ると、私たちはその賢さに恐怖し、同時に強いロマンを抱くものです。

しかし、ふと現実の足元やお祭りの屋台の片隅に目を向けてみると、そこにいるのは、じっと動かないトカゲや、水槽のガラスに何度も頭をぶつけているカメ、あるいは何を考えているのか全く読めない虚ろな目を合わさずに佇むヘビたちです。彼らはどこか愛嬌はあるものの、お世辞にも犬や猫のようにこちらの気持ちを察してくれたり、お手やお座りを覚えてくれたりするようには見えません。

地球の歴史を振り返れば、爬虫類の仲間は何億年もの間、この世界の覇者として君臨していたはずです。それなのに、どうして彼らのバリエーションの中から、人間のように道具を巧みに操り、言葉を交わし、文明を築くような、圧倒的に頭のいい爬虫類は登場しなかったのでしょうか。哺乳類がこれだけ多様な知性を開花させた一方で、爬虫類たちの脳内では一体何が起きていたのか、夜中にそんな素朴な疑問が頭をよぎると、なんだか眠れなくなってしまいます。

「哺乳類が上で、爬虫類が下」という思い込み

このような疑問について、世間一般では、そもそも爬虫類は進化の階段において哺乳類よりも古い段階にいる生き物だから、脳が未発達なのは当然だ、という風に解釈されがちです。生物の進化を一本のまっすぐなハシゴのように捉え、下の方に魚類や両生類、爬虫類がいて、その頂点に私たち哺乳類や人間が位置しているという、非常に分かりやすいピラミッド型のイメージです。

テレビの自然番組などでも、爬虫類は本能だけで動く冷徹な生き物として描かれ、温かい血を通わせ、子育てをしながら知恵を絞る哺乳類こそが、進化の最先端であるかのように紹介されることがよくあります。賢い犬やイルカの物語は涙を誘いますが、ワニの心温まるストーリーというのは、あまり聞いたことがありません。

だからこそ、私たちは、爬虫類の脳は小さくて単純だから、頭のいい個体が登場しなかったのだと、ごく自然に納得してしまいがちです。彼らは冷血動物だから、複雑な思考をするためのエネルギーが足りないのだという精神論に似た理由で片付けられることもあります。しかし、近年の古生物学や動物行動学の進歩によって明らかになってきた事実を細かく見ていくと、この「哺乳類が上で爬虫類が下」という大前提そのものが、どうやら私たちの壮大な勘違いである可能性が浮上してくるのです。

化石と脳科学が教えてくれる、トカゲたちの意外な実力

ここで、生き物たちの脳の構造や歴史に関する具体的な 事実や研究に目を向けてみましょう。

まず、恐竜の脳の化石や、現代を生きる爬虫類たちの脳のデータを調べてみると、彼らの脳は決してサボっていたわけではなく、独自の方向へ信じられないほど洗練されていたことが分かっています。たとえば、映画でドアノブを開けていた恐竜のモデルとなった小型の肉食恐竜たちの脳の容積を推定すると、現生の鳥類やある種の哺乳類に匹敵するほど、体重に対する脳の割合が大きかった種類も存在していたというデータがあります。彼らは決して、のろまで頭の悪いトカゲではなかったのです。

さらに驚くべきことに、現代のトカゲやカメを対象にした迷路実験や学習実験では、彼らが従来の想像をはるかに超える記憶力や問題解決能力を持っていることが報告されています。ある実験では、カメが一度覚えた餌の場所を数ヶ月にわたって正確に記憶していたり、トカゲが新しい道具の使い方を仲間の行動を見るだけで学習したりする姿が確認されています。

また、生物学的な視点から見ると、鳥類は実は生き残った恐竜の直接の子孫であり、広い意味では爬虫類のインテリ部門であるという見方が定説になっています。カラスが道具を使い、オウムが人間の言葉を理解して会話を成立させる様子を見れば、爬虫類の血筋から圧倒的な知性が生まれていなかったという解釈そのものが、実は少しズレているのかもしれないという事実に気づかされます。

環境と身体の構造的な理由

鳥類という例外を除いたとして、なぜ私たちが想像するような「トカゲの姿をした知的生命体」が地上の歴史に登場しなかったのか、その理由をいくつかの構造的な側面から考えてみます。

ひとつは、エネルギーの燃費に関する圧倒的な戦略の違いです。私たち哺乳類は、体温を常に一定に保つために、寝ている間も大量のカロリーを消費し続けるという、非常に燃費の悪いシステムを採用しています。この有り余るエネルギーの供給があったからこそ、脳という最も大食いな臓器を巨大化させることができました。一方で、多くの爬虫類は、太陽の光で体を温め、必要がないときは徹底的に省エネで過ごすという、極めて賢いローコスト生活を選びました。彼らにとって、無駄にエネルギーを消費する巨大な脳を持つことは、生き残るための生存戦略として、むしろ大損であり、避けるべきリスクだった可能性があります。

もうひとつは、子育てという仕組みの有無です。多くの哺乳類は、親が子供を一定期間守り、その間に生きるための知恵や行動を教育します。この長い子供時代があるからこそ、脳が後天的に柔軟に変化し、高度な知性を育む余裕が生まれました。しかし、多くの爬虫類は、卵から生まれた瞬間から一人で生きていかなければなりません。最初から完璧に動ける本能のプログラムがインストールされている必要があるため、後から学習して賢くなるための隙間が、脳の設計図の中に最初からあまり残されていなかったのかもしれません。

さらに、手の自由度という身体的な制約も大きそうです。人間がここまで賢くなれたのは、二足歩行によって両手が自由になり、道具を作り、それを使うことで脳が刺激されたからだと言われています。多くの爬虫類は、四足で地面を這うか、あるいは前肢が翼へと変化する道を選びました。指先を使って細かな道具をいじるという機会が生活の中で訪れにくかったことも、彼らが文明を持つような知性へと舵を切らなかった大きな要因と考えられます。

結局のところ、地球の歴史において、人間のような姿をした頭のいい爬虫類が登場しなかったのは、彼らの進化が遅れていたからでも、脳の性能が劣っていたからでもなく、単に彼らが選んだ生存のゲームにおいて、そんな風に賢くなる必要性が全くなかったから、という見方ができそうです。

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