
予定では今ごろ週休4日だったはず
いまの大人たちが子供の頃に思い描いていた近未来は、もっとこう、銀色のタイツを履いた人々がボタン一つで食事を済ませ、あとはロボットに任せて優雅に暮らしているような世界だったはずです。
当時の未来予想図では、技術が進歩すれば人間は労働から解放され、週に数日だけ働けばいい時代が来ると真面目に語られていたものです。
ところが、実際に2020年代を生きてみるとどうでしょうか。
スマートフォンという魔法の杖を手に入れ、生成AIという頼もしい相棒まで現れたのに、私たちの生活はちっとも暇になりません。なんで?
むしろ、江戸時代の人よりも現代人のほうが1日に受け取る情報量が多いなんて話も聞きますし、常に何かに追い立てられているような気がするのは私だけではないはずです。
便利になればなるほど、私たちは自由な時間を手に入れられるはずだったのに、一体どこで計算が狂ってしまったのでしょうか。
「効率が上がると仕事が増える」という不思議
一般的には、パソコンやインターネットの普及によって業務効率は劇的に上がったと言われています。
昔なら数日かかっていた資料作成が数時間で終わり、郵送でやり取りしていた書類がメールで一瞬にして届くようになりました。理屈で言えば、浮いた時間はそのまま休息や趣味に充てられるはずです。
しかし、現実は少し皮肉な方向に進んでいるように見えます。
例えば、計算が早くなったことで、これまで以上に複雑で大量のデータを分析することが求められるようになりました。
連絡が早くなったことで、即座に返信を返すことがマナーとなり、結果として1日にやり取りするメッセージの数が爆発的に増えてしまったのです。
つまり、効率化によって空いた隙間に、新しい別の仕事がすぐさま流れ込んできている状態なのかもしれません。
「当たり前」の水準が上がったのかも
ふと立ち止まって考えてみると、私たちが無意識に求めている生活の質が、技術の進歩と共にどんどん底上げされていることも理由の一つかもしれません。
昔なら、遠くに住む友人と連絡を取るには手紙を書き、数日待つのが当たり前でした。でも今は、メッセージを送って数分返信がないだけで、何かあったのかなと不安になったりします。
掃除だって、昔はほうきで掃くだけで十分だったはずが、今は高性能な掃除機で目に見えないホコリまで吸い取らないと気が済まなくなっています。
技術ができることを増やしてくれたおかげで、私たちが自分に課す合格ラインも一緒に上がってしまったのではないでしょうか。
デヴィッド・グレーバーという文化人類学者が書いた、ブルシット・ジョブという本の中でも、現代には誰の役にも立っていないと感じられる無意味な仕事が増殖していることが指摘されています。
この考えに触れたとき、私は妙に納得してしまいました。私たちは、本当は必要のない仕事を作り出すことで、無理やり自分たちを忙しくさせている側面があるのかもしれない、と感じたからです。
結局のところ何が私たちを動かしているのか
もしかすると、私たちは暇になることを心のどこかで恐れているのではないか、という少し怖い想像もしてしまいます。
何もすることがない空白の時間を、豊かさではなく不安として捉えてしまうような、そんな強迫観念が現代社会には漂っている気がするのです。労働そのものが一種の美徳になりすぎているのではないかと考えさせられました。
もちろん、働くことで得られる喜びや社会との繋がりは大切です。でも、本来はもっと楽をするために発明した道具に、私たちが振り回されて疲れ切ってしまうのは、なんだかもったいない話ですよね。
洗濯機が回っている間に庭で猫と日向ぼっこをする、そんな本来あったはずの余裕を、私たちは効率という言葉と引き換えに差し出してしまったのかもしれません。
今のところ自分はこう考えている
いろいろと思いを巡らせてみましたが、結局のところ、技術が私たちを幸せにするかどうかは、その技術をどう使うかという私たちの意志にかかっているのでしょう。
便利な道具を、さらに多くの仕事をこなすために使うのか、それとも大切な人とぼんやり過ごす時間を生み出すために使うのか。その選択権は、いつだって手の中にあります。
私はとりあえず、次に新しい便利なツールを手に入れたときは、それで浮いた時間をあえて何もしない時間として予約してみようかな、なんて考えています。きっとまた、ついつい新しい予定を入れてしまいそうになる自分との戦いになるとは思いますが。
皆さんは、もし明日から労働時間が半分になったとしたら、その時間を何に使いたいですか。正解はないけれど、たまにはそんな贅沢な想像をしてみるのも、悪くないかもしれません。


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