どうして「色」と感情が結びついているのか

雨の日のブルーと、おめでたい時の紅白

ふとした瞬間に、自分の気持ちを色で例えていることに気づくことがあります。 今日はなんだか気分がブルーだなあとか、あの人は頭の中がピンク色なんじゃないかとか、怒りで目の前が真っ赤になるとか。 よくよく考えてみると、これって不思議な現象ですよね。
色はただの光の波長であって、目に飛び込んできた物理的な情報にすぎないはずです。 それなのに、どうして私たちは目に見えないはずの感情を、特定の色とセットにして語るのでしょうか。

もし私が宇宙人だったとして、地球人にいきなり
今日はとってもミドリな気分なんだ」
と言われたら、きっと首をかしげてしまうと思うんです。高貴な気分なのか、それとも体調が悪いのか、さっぱり見当がつきません。

でも、私たちは当たり前のように、色のイメージを共通言語として使いこなしています。 この色のついた感情の正体は一体どこからやってくるのか、少し立ち止まって考えてみたくなりました。

よく言われる色のパワーというもの

一般的に言われているのは、色が私たちの自律神経や体温に影響を与えるという話です。 赤い部屋にいると体感温度が上がり、青い部屋だと落ち着いて時間がゆっくり流れるように感じるといった実験結果を、どこかの本やネットの記事で目にしたことがある方も多いかもしれません。

火や血を連想させる赤はエネルギーを感じさせ、空や海を連想させる青は静けさを感じさせる。 それは人間が進化の過程で、自然界の中にある色から生存に必要な情報を読み取ってきた名残だという説が、今のところ一番しっくりくる説明のようです。

確かに、真っ赤なリンゴはおいしそうだし、毒々しい真みどりやむらさき色のキノコは危険を知らせてくれます。 そうした本能的な反応が、長い時間をかけて心の状態と結びついていったという考え方は、とても納得感がありますよね。 でも、そうした生物学的な理由だけで、私たちの複雑な感情のグラデーションをすべて説明できるのでしょうか。

色はただの光のはずなのに

一歩引いて考えてみると、文化によって色の捉え方がかなり違うことにも気づきます。 たとえば、英語圏では嫉妬することを、緑色の目をした怪物という言葉を使って表現したりします。

でも、日本で嫉妬といえば、どちらかというとメラメラ燃えるような赤や、あるいは青白い炎のようなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。 少なくとも、私はジェラシーを感じて顔が緑色になる自分を想像するのは、ちょっと難しい気がします。

また、日本語で未熟な人のことを青二才と言ったり、春のことを青春と呼んだりするのも、植物が芽吹く時期の色から来ているのでしょうが、これも文化が生んだ表現ですよね。
そうなると、色が持つ意味というのは、最初から心の中に備わっているプログラムというよりは、私たちが後から付け足したラベルのようなものなのかもしれません。
私たちは真っ白なキャンバスを持って生まれてきて、そこに育った環境や言葉によって、少しずつ色の意味を書き込んでいるのではないでしょうか。

このテーマを考えるにあたって、いくつか私の視点を広げてくれたものがピクサーのインサイド・ヘッドというアニメーション映画です。 この作品では、ヨロコビは黄色、カナシミは青、イカリは赤というように、キャラクターが色分けされて描かれています。
これを見ると、子供でも直感的に感情を理解できるのが面白いところです。 色によって複雑な内面を可視化するという手法は、私たちが自分でも気づかない感情を整理するための、とても便利なツールなんだなと実感させられました。

心に絵の具を持っている?

結局のところ、太陽の光を浴びて温かくなるという体感も、歴史の中で積み上げられてきた言葉のあやも、あるいは単にそう表現した方が自分の気持ちを誰かに伝えやすいからという実用的な理由も、すべてが複雑に絡み合っている気がします。

もやもやした言葉にならない気持ちに、とりあえず青や赤という色をつけてみることで、少しだけその正体に近づけるような安心感があるのではないでしょうか。 今日は何色の気分か自分に問いかける時間は、自分の心に対する解像度を少しだけ上げてくれる気がします。 皆さんは今、何色の中にいますか。 自分の心情に自分だけの色を探してみるのも楽しいかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました