損をしてでも足を引っ張りたい!「スパイト行動」

「相手を引きずり下ろしたい」心理

電車で座席が一つだけ空いたとき、自分が座れないならいっそ誰も座れなければいいのに、なんて一瞬でも頭をよぎったことはありませんか。あるいは、仕事で大成功している同僚の小さなミスを見つけて、心のどこかでホッとしてしまうような、あの感覚です。

私たちはふだん、なるべく得をしたい、賢く生きたいと考えて行動しているはずです。それなのに、時として自分に何のメリットもないどころか、自分も損をするとわかっていて、それでも相手にダメージを与えようとしてしまうことがあります。これを心理学や行動経済学の世界ではスパイト行動と呼ぶそうです。スパイトとは悪意や意地悪という意味ですが、なぜ私たちはこんな、一見すると非合理的な行動をとってしまうのでしょうか。今日はこの不思議な心の動きについて、のんびりと考えてみたいと思います。


世間でよく言われるのは、「日本人の国民性」という話

このスパイト行動という言葉、実は日本で議論されるとき、日本人は他国の人に比べてその傾向が強いという文脈で語られることがよくあります。出る杭は打たれるという言葉がある通り、みんなと同じであることを尊び、一人だけ抜け駆けすることを許さない文化があるからだ、という説明です。

誰かが得をしているのが許せない、というドロドロした嫉妬心。それが、自分を犠牲にしてでも相手を攻撃する原動力になっているというわけです。ネット掲示板やSNSで誰かが炎上しているとき、自分には直接関係がないのにわざわざ時間を割いて叩きに行く行為も、このスパイト行動の一種ではないかと言われたりします。他人の足を引っ張ることで相対的に自分の立ち位置を守ろうとする、悲しい防衛本能のようなものとして片付けられがちです。


感情的な問題だけではないのかも

でも、本当にそれは単なる意地悪な性格や、日本特有の国民性だけの問題なのでしょうか。少し立ち止まって考えてみると、そこにはもっと深い、人間という生き物特有の仕組みが隠れているような気がしてきます。

そもそも、自分が損をしてまで相手を攻撃するというのは、野生の動物の世界ではあまり見られない、とても「人間らしい」行動だとも言えます。お腹が空いているライオンが、目の前のシマウマを逃がしてまで別のライオンの足を引っ掛けるなんてことは、生存戦略としてはかなり効率が悪そうです。それでも私たちがこの性質を持ち続けているのだとしたら、そこには何か、種として生き残るための合理性が隠れているのかもしれません。


公平さを守るための「自警団」という視点

ここでヒントになるのが、行動経済学などで使われる最後通牒ゲームという実験です。二人のプレイヤーに、例えば一万円を分け合わせるというシンプルなルールですが、提案者が提示した配分案を、受取人が拒否できるというものです。もし受取人が拒否したら、二人とも一円ももらえません。

論理的に考えれば、相手が、自分は9,900円で君は100円だ、と提案してきたとしても、受取人は100円をもらっておいた方が、ゼロよりは得なはずです。ところが多くの人は、そんな不公平な提案なら【いらない】、と拒否してしまいます。自分も100円を失いますが、相手の9,900円も腹いせに消し飛ばしてやるわけです。

これは傍から見ればスパイト行動そのものですが、受取人の立場からすれば、不当な格差を許さないという正義感の発露とも言えます。ルールを無視して自分勝手に振る舞う人に対して、自腹を切ってでもペナルティを与える。そうすることで、社会全体の公平性を保とうとしているという考え方です。つまり、スパイト行動は、フリーライダーや身勝手な成功者を抑制するための、人間社会のブレーキのような役割を果たしているのかもしれません。

日本人のスパイト行動の高さも、実は他者への強い不信感や、自分が不当に扱われることへの恐怖から来ている可能性が示唆されています。意地悪をしたいわけではなく、なめられたくない、あるいは公平でありたいという切実な願いが、このような形で表れているのかもしれません。


資源が限られた世界での相対的な競争

もう一つの可能性として、私たちは絶対的な豊かさよりも、相対的な順位を気にするように設計されているのではないか、という点があります。

もし社会の資源が無限にあれば、隣の人がどれだけ成功しても自分には関係ありません。しかし、限られたパイを奪い合う状況では、相手の取り分が減ることは、巡り巡って自分のチャンスが増えることを意味します。たとえ自分の資産が100円減ったとしても、ライバルが1000円減ってくれれば、自分はランキングを一つ上げることができるわけです。

スパイト行動も、短期的な損得ではなく、長い目で見たり、集団の中での相対的な立ち位置で考えたりすると、意外と理にかなった戦略だった時代があったのかもしれません。


ほどよく付き合うために

いろいろと考えてきましたが、スパイト行動が単なる個人の性格の問題ではなく、人間の生存戦略や社会の公平性維持という側面を持っているのだとしたら、それを完全に消し去ることは難しそうです。誰の心の中にも、損をしてでも一太刀浴びせてやりたい、という小さなトゲは刺さっているものなのでしょう。私もです。

ただ、現代のように誰もがSNSでつながり、他人の成功が嫌でも目に入ってくる時代では、このトゲが過剰に反応しすぎてしまう危険もあります。他人の足を引っ張ることに一生懸命になりすぎて、自分自身の人生がどんどん痩せ細ってしまうのは、それこそ一番の損ではないでしょうか。

最近の私は、あ、今自分は相手の足を引っ張りたいと思ってるな、と気づいたときには、これは昔の生存本能がバグを起こしているだけだ、と自分に言い聞かせるようにしています。脳内にある古い自警団が、現代の平和な日常で暇を持て余して暴れているだけなんだ、と思うと、少しそのトゲが丸くなるような気がします。

自分の内側にあるこの厄介な性質を、否定しすぎず、かといって振り回されすぎず、面白い癖だなあと眺めるくらいの心の余裕を持ちたいものです。皆さんは、自分の中に眠る自警団とどう向き合っていますか。

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