
鮮魚コーナーで思ったこと
夕暮れ時のスーパーマーケットは、どこか独特の活気がありますね。今日の晩ごはんは何にしようかと歩いていて、鮮魚コーナーの前で足が止まりました。並んでいるお魚たちのラベルを眺めてみると、そこには不思議な光景が広がっています。
塩サケはチリ産ですね。最近は国産のものはあまり見かけなくなりました。サバはノルウェー、タコはモーリタニア、そしてシシャモは海を越えてカナダやアイスランドから届いています。
そこでふと顔を上げて思い出したことが。日本は地図の上ではどこからどう見ても海に囲まれた島国ですよね。これだけ周りが全部海なのに、どうしてお皿の上に並ぶのは遠い異国の海で育った魚ばかりなのでしょうか。
もちろん、日本産の真鯛やブリも並んではいますが、お財布に優しい定番の切り身たちの多くは、長い旅路を経てこの街のスーパーにたどり着いたようです。四方を海に囲まれたこの国で、なぜわざわざ地球の裏側からお魚を運んでくる必要があるのでしょうか。まして遠くから来たお魚たちの方がはるかに安いなんて、妙な話だとは思いませんか。
よく耳にする納得感のある理由
この疑問を誰かにぶつけてみると、おそらく返ってくる答えは決まっています。一番多いのは、海外の方が人件費が安いから、という理由でしょう。広い海で巨大な船を使って効率よく大量に獲るから、輸送費をかけても日本産より安く提供できるのだという説明です。
また、日本の漁師さんが高齢化してしまって、獲る人が減っているからという話もよく聞きます。確かに、テレビのドキュメンタリーなどで見る漁村の風景は、どこか寂しげで若い人の姿が少ないように感じます。海はあっても、それを形にする手が足りない。なるほどそれは一理あるなと納得しかけます。
それから、最近の海水温の変化で、昔は獲れていた魚がいなくなってしまったという話も耳にします。サンマが高級魚になってしまったニュースなどは、まさにその象徴かもしれません。環境が変わってしまったのだから、海外に頼るしかない。そう言われると、なんだか抗えない大きな力に飲み込まれているような気分になります。
本当にそれだけか?
でも、本当にコストや人手の問題だけなのでしょうか。私たちは、日本産の魚なら多少高くても買いたいなという気持ちをどこかに持っているはずです。それでもスーパーの棚が海外産に席巻されているのには、もっと別の、私たちの暮らしそのものに関わる構造があるような気がしてなりません。
たとえば、私たちがスーパーに求める便利さを思い出してみます。私たちは一年中、同じ品質の同じ魚が、同じような価格で並んでいることを期待してはいないでしょうか。秋になればサンマがあるのは嬉しいけれど、お弁当に入れるサケは一年中いつでも、そしてどれを買っても同じように脂が乗っていてほしい。そんなわがままな願いが、どこかにあります。
こうした安定した供給を叶えるためには、季節によって獲れる量や質が変わる日本の近海漁業よりも、巨大な養殖場で管理され、決まった規格で加工されて冷凍で届く海外産のほうが、お店側にとっても都合が良いのかもしれません。
私たち自身が選んだ食卓の形
ここで少し、自分の好みを振り返ってみます。脂の乗ったノルウェー産のサバは、焼くだけでジューシーでとても美味しいんですよね。一方で、日本近海で獲れるサバは、季節によっては身が締まっていて、さっぱりしていることもあります。私たちはいつの間にか、魚本来の旬の味よりも、分かりやすい脂の旨みを、それも一年中安定して楽しむことを「選んできた」のかもしれません。
また、流通の仕組みにも目を向けてみると面白い発見があります。日本の漁業は、小さな港がたくさんあり、それぞれが独自の文化を持っています。これは素晴らしいことですが、現代の巨大な物流システムに乗せようとすると、一箇所に大量に、そして均質に集めることが得意な海外産のシステムに、効率の面で一歩譲ってしまう部分があるようです。
さらに、資源の守り方の違いも関係しているという考え方があります。海外のいくつかの国では、科学的なデータに基づいて厳格に獲る量を制限し、魚の価値を高めてから売るというビジネスモデルを確立しているところもあります。一方で日本は、獲れる時に獲れるだけという昔ながらのスタイルから、新しい管理の形へと移行している真っ最中なのかもしれません。
さらに、農林水産省が公開している食料自給率に関するデータなどを眺めていると、数字の裏側にある私たちの食生活の変遷が透けて見えます。どれも断定的な答えをくれるわけではありませんが、自分なりの納得解を探すための大切なピースになっています。
自分たちの手で選んだ結果
やはりこうして考えると、人々がスーパーの鮮魚コーナーでカゴに入れるのは安くて脂の乗った海外産の魚なのです。これは単なる日本の漁業の敗北ではなく、私たちが作り上げてきた現代社会の映し鏡だな、と思いました。
便利さ、安さ、そして一年中変わらない味。それらを追求した結果、地球の裏側と繋がることが当たり前になりました。それは決して悪いことばかりではなく、私たちが豊かな食卓を維持するための知恵でもあります。でも、その一方で、目の前の海で今まさに泳いでいる旬の魚たちが、意外と遠い存在になっているのは、少しもったいないような気もしますね。
たまには少し奮発して、地元の漁港で獲れた名もなき小魚を買って、さばき方に苦戦してみるのもいいものです。私は以前、地元産のハタハタという小さな魚を三枚におろしてオリーブオイルで焼いてみました。こうした寄り道が、日本の海と食卓を再び結びつけるきっかけになるのかもしれません。
私はこれからも、ノルウェー産の美味しいサケに感謝しつつ、隣に並ぶ地物の魚たちのラベルも、今までより少しだけ気を配って眺めてみようと思っています。今日の献立を選ぶ時、そのお魚がどこから来たのか、どんな理由でそこに並んでいるのか想像してみると、いつもと同じ魚の風味でも、少し違って感じられるものがあるかもしれませんね。


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