
SNSを見ていると、ふとした瞬間に指が止まってしまうことがあります。友人が素敵な結婚式を挙げた報告、同僚が大きな仕事を成し遂げた投稿。本来なら、おめでとう、すごいね、と声をかけるべき場面です。それなのに、なぜか胸の奥がチクッと痛んだり、あるいはもっと重苦しい何かが胃のあたりに溜まったりする感覚。
あんなに仲が良かったはずなのに、相手の生活がキラキラし始めた途端、なんだか自分だけが取り残されたような気持ちになった。実を言うと自分にもそうした経験があります。
世間一般では、他人の幸せを喜べないのは器が小さい証拠だとか、自分に自信がないからだと言われがちですよね。もっとポジティブに捉えよう、他人と自分を比べるのはやめようというアドバイスが溢れています。でも、理屈では分かっていても、心が追いつかないのが人間というものです。今回は、この厄介な感情について、少しだけ深く、そして冷静に考えてみたいと思います。
人生が上向くとフォロワーが減る
興味深い現象があります。SNSで苦労話や失敗談を綴っている間はたくさんの人が応援してくれていたのに、いざ成功を掴み、生活が豊かになっていく様子を発信し始めると、目に見えてフォロワーが減っていくという話です。この現象は、今まさに自分も経験している最中です。
これは単なる偶然ではなく、人間の心理構造に深く根ざしているようです。ある調査や研究では、私たちは自分と似たような立場の人に親近感を抱きやすいことが示されています。つまり、同じ悩みを持っていた仲間が自分より先に上のステージへ行ってしまうと、その存在が応援の対象から、自分を惨めに見せる鏡へと変わってしまうのかもしれません。
SNS上の人間関係は、共感という細い細い糸で繋がっていることが多いものです。その共感の土台が崩れたとき、あるいは相手が自分にとっての理想を先に叶えてしまったとき、私たちは自分自身の心を守るために、物理的・心理的な距離を取ろうとする防衛本能が働くのではないでしょうか。そんなふうに考えると、フォロワーが減るのは相手が冷たくなったからではなく、むしろ相手にとって自分の存在がそれだけ大きな刺激になってしまったという見方もできます。
妬みの正体を分解してみよう
私たちが感じる苦痛には、実はいくつかの決まったパターンがあるようです。まず重要なのが、相手との距離感です。遠く離れた海外のセレブがどれだけ贅沢をしていても、私たちはあまり嫉妬を感じません。ところが、学生時代の同級生や、同じ時期に活動を始めたSNSのフォロワーといった、自分と近い存在が幸せになると、途端にザワザワし始めます。
心理学の世界で語られる上方比較という言葉があります。自分よりも優れていると感じる対象と自分を比べてしまう行為のことですが、これが苦痛に変わるには、二つの要素が必要だと言われています。
一つは、相手との類似性です。
もう一つは、その分野が自分にとって重要かどうかです。
例えば、全く興味のない分野で誰かが成功しても、「へえ、すごいね」で済みます。しかし、自分が人一倍努力している分野、例えばダイエットや資格試験、あるいは仕事の成果などで、自分と似たような境遇の人が一歩先を行くと、その輝きが自分を照らす強烈なスポットライトになり、自分の影をより濃く浮かび上がらせてしまうのです。
社会的な動物としての生存戦略
ここでもう少し視野を広げてみましょう。そもそも、なぜ人間にはこんなに面倒な感情が備わっているのでしょうか。
一説によれば、嫉妬や妬みは太古の昔から続く生存戦略の一部だったという考え方があります。限られた資源を奪い合っていた時代、周囲の誰かが自分より有利な状況になることは、自分の生存が脅かされることを意味していました。周囲の状況に敏感になり、誰かが抜きん出たときにアラートを鳴らす機能が、現代の私たちにも形を変えて残っているのかもしれません。
また、社会心理学的な視点では、集団の平等を保とうとする力が働いているという指摘もあります。突出した存在を快く思わない心理は、裏を返せば集団内の秩序やバランスを維持しようとする、ある種の調整機能のようなものとも解釈できます。そう考えると、他人の幸せを素直に喜べない自分を、ただの悪人だと決めつけるのは少し早計かもしれません。私たちは、遺伝子レベルで刻まれた古いプログラムに、時々振り回されているだけなのかもしれませんから。
考えるヒントを得たものたち
この問題を考えていく上で、ひとつの映画作品が私の思考を助けてくれました。映画 アマデウスは、天才モーツァルトと、その才能を誰よりも理解し、それゆえに激しい嫉妬に苦しむ凡庸な作曲家サリエリの物語です。サリエリが感じる苦痛は、単なる憎しみではなく、相手の素晴らしさを認めているからこそ生まれる地獄のような渇望です。自分の心の醜さに絶望する彼の姿は、現代のSNSで他人の投稿を見てモヤモヤする私たちの姿と、どこか重なる部分があるように感じます。
ほどよい距離感で生きていくために
結局のところ、私たちは聖人君子ではありませんから、どうしても心が波立つ日はあります。
大切なのは、そんな自分を否定しすぎないことではないでしょうか。ああ、今自分はあの人のことが羨ましいんだな、とか、自分の頑張りがまだ形になっていないから焦っているんだな、と自分の感情をそのまま眺めてみて、あまりにも辛いときは画面を閉じて、自分だけの心地よい空間に戻るのもいいかもしれません。
SNSで流れてくる他人の幸せは、あくまでその人の人生のハイライトに過ぎません。その裏側にある苦労や孤独までは見えないものです。自分も、フォロワーが減るのも、増えるのも、原因が思い当たらないのに親しい人との人間関係がある日突然切れるのも、ある種の自然現象のようなものだと割り切って見ています。



コメント